世界遺産、熊野を舞台とした、極上のキャンプとカヌーの自然旅

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熊野 本宮のまちが無くなっていた

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久しぶりに国道168にて熊野に入りました。新刊書「熊野川 伐り・筏師・船師・材木商」(宇江敏勝著 新宿書房)を読んで感銘し、十津川沿いの筏の道を確認しながらのドライブでした。十津川村から田辺市に入り、さて目に飛び込んだのは「萩郵便局」…昔の本宮は萩と呼ばれていたようです。

さあ、本に出ていた鍛冶屋さんや町並、小規模の商店…この道を通るのは5年ぶりぐらいなのでゆっくり楽しもう!と、峠を越えて本宮の本通に入ったら…唖然!です。国道を中心に道幅が拡張され、懐かしい商店は一軒もありません。この数年の風景の変化に目を疑いました、ここもまた「美しい日本」に変わっていました…。

平成17年に本宮町景観保全条例が施行され、地域の方々の意向をすり合わせ、熊野本宮のゲート・エントランス部分としてこんなんになっちゃいました。対象区にある民家や商店などは、建て替え時に「切り妻」や「入り母屋」など門前町のイメージにあった日本家屋への統一化を図っているとのこと。写真の右側はガソリンスタンドです…。すげぇ…

熊野でお商売をさせていただいている私として、当地に住まうわけでなく勝手な発言は慎んでいるのですが…この景観保全には異質・違和感を覚えてしまいます。門前町のイメージ…それはどんなイメージなのか?昭和?大正?江戸?平安?室町?どう見ても「木目調で隠した平成」にしか見えません。

本宮のみなさん、ごめんなさい。でも、もう少し方向性を吟味されてみてはいかがでしょうか?まだ間に合いますよ!林業で本宮の最も栄えた“萩”のころ…例えば、大正から昭和のはじめの景観も「良し」とする…とか。何でもかんでも「木造=江戸=日本の古=外人ウケ」では悲しいです。改めて景観保全の難しさ、住民の合意形成の難しさを実感した本宮のまち訪問でした。

たくさんのツアーバスが止まっているところを拝見すると、もちろん、これが正しいのかもしれません。しかし、懐かしい本宮の町並は消滅していました。しょぼん…

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コメント(2) | トラックバック(1) |2008年4月14日 06:46

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コメント

「昔の本宮は萩と呼ばれていた」?ですか?

本宮は昔も今も本宮で、萩は昔三里と言われていました。

三里は昔(林業が盛んだった頃)、筏の集積場が土河屋に有ったため、本宮よりも栄えていたようで、映画館、遊郭もあったと言われています。

もちろん本宮には平安の頃、上皇達の熊野詣で最大の行列は800人を数えていたようですが、本宮から新宮・那智へ詣でることができたのは、河舟10艘程度であったために、本宮には新宮・那智に詣でることができなかった、人たちが停泊したと言われています。と言うことは、林業が盛んになる前は本宮が相当な大きさの町だったと思われるのです。

熊野はその神仏習合の文化、また1000年以上から人々が詣でて、その道が現在も使われていることが、認められ世界遺産登録されたと聞いています。(他にも事由はありますが。)

現状も文化はその時代に合わせて変化してます、当然のことです。

「自然が一番」的な方は舗装の道を見て、「良くない」と言われるけど、道が舗装でなく、1000年前の道だったら、その方たちはここへ来ることができたのでしょうか。

ここに住まいしている人たちは、世界遺産になった文化を引き継ぎ生活を営んでいます。それでも人は都会へ流出しています。景観が変わったぐらいで、「本宮のまちが無くなった」なんてどうして言えるのでしょうか、書物やセミナーでいろいろ勉強されているのでしょうが、ここに住み、ここの人とふれあい、ここの問題を肌で感じていない方が、どうしてそういえるのでしょう。
僕はここ本宮に住んでみて、人の流出で本宮のまちが無くなることの方が心配です。景観が昔と違うのはあたりまえです、大阪も廻船が行き交った頃、上方と言われた頃の景観を残していますか?

くまペリ Katsuさんへ
ご訪問ありがとうございます。
またご指摘ご意見感謝いたします。

確かに私、本宮に居住しておるわけではないので、「まちが無くなった」という表現は住まわれている方には申し訳ない表現でしたね。

しかし、私の心の記憶にも「本宮のまち」が歴然と存在しており、これが今回の訪問でなくなってしまった…そう捉えていただいてはいかがでしょうか?

さてさて、つい5年程前には、まだまだレトロな本宮が健在で、ここでのお買い物が楽しかったものです。しかし、今回のような景観改修の方向性では昭和大正の雰囲気を消し去ってしまったのでは?

日本全国いたるところにある観光利便性の高い景観保全の手法では、まちの個性が損なわれる恐れがありますね。この地域を誇る大切にしたいと願う、そんな景観保全を行うべきでしょう。

それは平安のころや室町のころを復元する方法でもいいでしょう。決して道路をセットバックさせて拡張し、「歴史的=木目調」で統一刷ればいいものではありませんよね。本文にも触れたように、昭和・大正の雰囲気の継承が、本宮には相応しかったように個人的に思います。

重伝建としては長野県塩尻の奈良井宿や佐渡の宿根木集落の例があります。これらは道路の拡張よりも生活文化、建築郡の保全が優先していますね。
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こういうやり方のほうが望ましいと思います。

住まわれている方々の誇りや記憶を大切に残せるまちにしないと…
それこそKatsuさんが指摘されるように「人の流出で本宮のまちが無くなる」ことに結びついていきますよね?

萩は三里で本宮ではない?すんません、それは当方の勉強不足かもしれません。ご指摘ありがとうございます。

今後とも拙ブログ、ご愛顧のほど、よろしくお願い申し上げます。

熊野 本宮のまちが無くなっていた